Summer has come.
今年は紫陽花の開花に気付いた時には既に見頃が過ぎていた。
でも、萎れた花って独特の魅力がある気がして、写真に収めるならむしろこのくらい色褪せている方が好きだったりする。花はどんな姿でもやっぱり花。綺麗。
散歩がてらの撮影でした。
朝、ゴミ出しに向かった時、いつの間にか蝉が鳴いていた。
景色の光や色も、随分と夏の色に染まってきていてこの季節が好きな私にとってはそれだけで嬉しくなるものがあった。数えてみれば38年目の夏。好きなったのはこの数年のこと。
季節の移り変わりを愛せるようになったのは、やはり大きな変化だと思う。形容し難い感覚だけれど、確かに、心の中の何かが変わった。
母親の血を継いでいることを、以前の私は否定的に考えていた。
だけど、どうしてか私は夏にまつわる全てが好きで、人生でさほど行ったことがない海に何故かとても惹かれる。私が頭に描く海はいつも南方にあって、珊瑚礁が透けて見える透明度の高い、青い青い海。
日に焼けた浅黒い肌や、砂浜にはためく白い帆。潮風に波打つ緑の草原。南国特有の風通しのいい平屋と、防風林の木漏れ日。ビーチサンダル。琉球の風鈴の音。
私が心地よく感じる情景は南国の文化にある。何故だろう、と考えるけれど。考えるまでもなく、答えはもう出ていて、私はずっとそれから目を逸らしていた。
母は沖縄の出身で、物心がつくかつかないかそれくらいの頃に何度か私も帰省していて、当時の記憶はほとんどない。覚えているのは一つだけで。私の背丈の何倍もあるさとうきび畑の中を、おじいちゃんが掻き分けて進んでていて、その後ろを私が「待って」と言いながらついて行っている。それだけの一瞬のこと。
沖縄の記憶が私にはないのに。
誰のもとに産まれようと、人生を切り拓いていくのは子供自身で、親の血で子供の全てが決まるわけではない。正直にいえば、望んでなくとも産んだからには最低限真っ当に育てて欲しかった。でも、それでも、それを私自身が人生の「できない理由」にして諦めるなんて。生まれてきた理由は自分で見つけなきゃ。
私の心の情景がいつも夏なのは、母の子供という証なんだと思う。憶えていなくても、あれは私の故郷だ。
私も人間で、母も人間で、完璧じゃない。でも、母は産むという選択をしてくれた。
母は苦労が多い人だった。母も、母の愛情を知らないし、家族すらまともに在ったことがない。そんな中で経験する子育てには葛藤や苦悩もあっただろうし、なんなら産まなければよかったと後悔してしまうこともあったかも知れない。
福祉事業所や医療センターでこれまでの経験をお話しする場を設けていただけることとなった。その報告を電話で母に話したら、いきなり泣き出したから私はぽかんとしてしまった。
母は母になりきれない。どうしても母である前に女性として考えてしまう。それは、母が全て悪いわけではない。母の身の上もそうさせているし、私もずっと離れて生きていたあの人を今更母だとはなかなか思えなくて。
今、私たちは親子になろうとして、でも上手くいかなくて、ぶつかり合ってしまっている。
離れていた分の喧嘩を、やっとしているのかも知れない。
母は泣きながら、聞きにいくね、と言ってくれた。
たぶん。ささやかな親孝行ができたんだと思う。
はじめて。すこし。嬉しかった。
海老のサラダボウル。
ステンレスの食器って、割れないし、丈夫だし、軽いし、お洒落だし、最強だね??ってことで最近はステンレス製の食器を愛用してる。
これは麺鉢だけどどっさり入る容量なので、サラダにも最適。
イラレ演習の遠隔講義中。大好きなウェッジカットのポテトをもしゃもしゃ食べながら聴講している図。
業務スーパーの冷凍ポテトを解凍してトースターで焼くだけ。振り掛ける塩の量は遠慮なく。うまい。
更新が空いた間にもWaveboxから絵文字を送ってくださった方々、ありがとうございました。
もう早速、通知ボックスがひまわり畑になろうとしていてほっこり。ささやかな遣り取りですが、これは私の小さなしあわせです。励みになっています◎
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